2009/03/31

下船、ドーニでフルレへ

2008/09/27 19:37 Farewell to Crew of Handy Cruise from the Dhoani for Hulhule

9月27日午後7時35分、
ゲストを乗せたドーニはハンディ・クルーズ(Handy Cruise)を
離れた。

カピサン(船長)のフセインさん以下、
クルー全員がデッキに出て見送ってくれる中、
ドーニはフルマーレ(Hulhumale)のリーフをでて、
隣のフルレ空港(Hulhule Airport)へ向かった。

それにしても、20人分となると荷物の量がハンパじゃない。

2009/03/30

バースデイ・ケーキ

2008/09/27 19:21 The Whole Participants of Diving Safari on Handy Cruise

午後7時。
クルーが各部屋からゲストの荷物を上げ、ドーニに積み始めた。
ハンディ・クルーズ(Handy Cruise)とずっと行動を共にしてきた
ドーニのエンジン・トラブルは直せなかったようで、
夕方マーレまで我々を運んでくれたドーニが来ていた。

クルーへのチップ(US$10/日)を渡し、バーの精算を済ませ、
クルー全員を交えて記念撮影をした。
ゲスト20人の大多数がカメラを持参していたので、
とっかえひっかえ撮ってもらい、かなり時間をくってしまった。



2008/09/27 19:24 The Birthday Cake to Mr.Ito

今回のサファリ・クルーズの最後のサプライズ、
ゲストのミスター・イトウの誕生日を祝うケーキがでてきた。




2008/09/27 19:25 Celebrating Mr.Ito's Birthday at Dining of Handy Cruise

今回ミスター・イトウへのセレブレーションは2度目だ。
サファリ2日目の9月22日、400本目のダイブを祝ってもらっている。
ケーキを切り分けてみんなで食べたら
いよいよこのボートともお別れだ。

2009/03/29

ボーキバー(Boakibaa)

 
2007/09/27 18:25 Refreshments on Handy Cruise, Hulhumale

マーレ(Male)からドーニでフルマーレ(Hulhumale)に停泊している
ハンディ・クルーズ(Handy Cruise)に戻ると、
とりあえずもうやることはない。
部屋に戻り、おみやげをスーツケースに入れて
最終パッキングを済ませた。

その後、後部デッキでみんなと時間をつぶしていると、
シェフが軽食の用意ができたと案内してくれた。

ダイニングに行くと、ツナサンドとヘディカ(Hedhikaa:点心のようなもの)
が並んでいた。

ボーキバー(Boakibaa)と呼ばれる、米とツナをカレーで味付けた
辛いケーキだ。

甘いミルクティー(キルサ Kiru Sai)によく合う。

2009/03/28

おとなしく暴走する青年たち

2008/09/27 17:05 Motorcycle Gang on Male

チャンダニー・マグ(Chandani Magu)を戻り、
大統領専用桟橋(No.1 Jetty)の前にある公園
ジュムフーリー・メイダーン(Jumhooree Maidhaan)の
角の交差点まで戻ってきた。

バイクの集団が信号待ちしている。
この程度のバイクが信号待ちしているのは
今やマーレでは珍しくないのだが、
よく見ると乗っているのは若い者ばかり、
そろいの黒いブルゾンかブルーのポロシャツ姿だ。
タンデムシートにすわっている者は青い旗を持っている。

集団でバイクに乗っているところは、日本の暴走族のようだ。
マーレには数十回来ているが、こんな集団を見たのは初めてだった。



2008/09/27 17:05 Motorcycle Gang on Male

信号が青になると、
この集団は一斉に警察署の方へ左折して行った。

マフラーを改造しているわけでもなく、
けたたましいホーンを鳴らすこともない。

ノーヘルも2人乗りもモルディブでは合法だ。

しかも彼らは信号を守り、歩行者や自転車をちゃんとよけていた。
なんとも遵法精神に富んだ暴走族だ。

2009/03/27

「マーレの交通事情、今昔」

2008/09/27 17:03 The Intersection with Traffic Lights on Male


わずか1分で終わってしまった
殴り合い、というか叩き合いの騒動を見終え、
集合場所であるジェティに向かって
チャンダニー・マグ(Chandani Magu)を戻った。

1990年当時には1箇所もなかった信号が、
今はチャンダニー・マグを中心に数箇所立っている。
それだけ、車とバイクが増えたということだろう。
当時、車といえばタクシーと軽トラック以外
ほとんど見かけなかったものだが、
今は自家用車も増え、バイクは溢れている。

それだけ個人所得が増えたということだろうが、
東西2.5キロ、南北1.5キロの島を移動するのに
車が必要なのだろうか?

「狭いマーレ、そんなに急いでどこに行く」

2009/03/26

青年の主張

2008/09/27 17:00  Boys Fighting in Front of Iskander School, Male

マーレの目抜き通りであるチャンダニー・マグ(Chandani Magu)は、
大統領専用桟橋(No.1 Jetty)のそばから南へ向かって延びている。

ジェティに近いところはスーブニール・ショップや家電店などが
並んでいるが、テニスコートを過ぎたあたりは
学校や図書館が並ぶ一角になる。

そこに建つイスカンダル・スクール(Iskandar School)は
1961年創立の小学校だ。
  • イスカンダル・スクールの公式HP(英語)
公式HPのGALLERY-Photoを見ると、
白の制服に身を包んだ可愛らしい生徒たちの学校生活が
うかがえる。

この日、校門の前に、鉄パイプならぬ紙管を持った若者たち
15、6人がたむろしていた。

ただならぬ様子に立ち止まって何が起こるのか眺めていると、
午後5時きっかりに叩き合いが始まった。
ただ、殺気立った感じはなく、
喧嘩というよりパフォーマンスの色合いが濃い。

ホーム・ビデオを持って待ち構えていた者もいたし、
騒ぎが始まった直後に到着したタクシーからは
カメラとブーム・マイクを持ったテレビ局のスタッフらしき人たちが
おりてきた。



2008/09/27 17:02 A Boy Who Seems to be a Leader and TV Crew

騒ぎは1分ほどで終わり、ほとんどの若者たちは
蜘蛛の子を散らすように逃げてしまった。

テレビ局のレポーターらしき男が、
バイクで逃げようとしていたリーダー格の少年をつかまえて
インタビューをしている。

モルディブの法律では、他人を殴打することは飲酒と同じくらいの罪で、
現行犯逮捕されると数日から数週間拘留されるという。

どう見ても確信犯の彼らは、何を主張したかったのだろう?

いずれにしても、1990年代初頭には決して見られなかった光景で、
自由化というか秩序が確実に変化しているのを
肌で感じた一件だった。

2009/03/25

マーレの目抜き通り

2008/09/27 16:54 Chandani Magu, Male

魚市場の喧騒を抜け、路地を入った建物にある
アンティック&スタイル・スーブニール・マート
(Antique & Style Souvenir Mart)
では結局見ただけで買い物をせず、
STOトレード・センター(STO Trade Centre)の2階にある
みやげ物屋を何軒か見てまわり、Tシャツを必要な枚数
買い揃えた。

家に残してきた猫の世話を頼んだ弟夫婦と、
毎回ダイビング・バッグを借りている伊豆のダイビング・ショップを
経営している友人の分だ。

続いて1階のスーパーで貝の形をしたマーブル・チョコと
カレー粉をゲット。
そして、これも毎回必ず買って帰る
チョコレートとミルクのマーブル状の瓶詰めペーストを手に入れた。

午後5時からお祈りの時間なので、
オトさんたち夫婦が店内に入った直後に
入り口が閉じられてしまったが、その分ゆっくり買い物ができた。

集合時刻が迫っていたが、少し散歩しようと目抜き通りの
チャンダニー・マグ(Chandani Magu)へ出た。

マグはディベヒ語で「通り」のこと。
マーレでは、主だった通りにすべて名前がついているので
わかりやすい。


いつもなら客引きや観光客で混雑し、
車やバイクで溢れているはずだが、 お祈りの時間直前なので、半分ほどの店は一時閉店し、
人通りもまばらだ。

2009/03/24

マーレのフィッシュ・マーケット

2008/09/27 16:04 The Fish Market on Male

マーレ(Male)のジェティにはドーニが溢れている。
岸壁に直接横付けできず、他のドーニに横付けして
ドーニづたいに上陸しなければならないこともしばしばだ。

たまたま、出発するドーニがいてスペースができたので、
今回はそこに滑り込むことができた。

それにしてもごった返している港の中で
隣のドーニにぎりぎりまで寄せて切り返す
操縦の腕はたいしたものだ。

ところで、マーレにやってきた理由はただひとつ、
おみやげの買い出しだ。

モルディブに来るたびに買って帰るのは、
Tシャツ、パレオ、カレー、
そして日本で売っていないちょっとした食品。

まずはアンティック&スタイル・スーブニール・マート
(Antique & Style Souvenir Mart)へ向かう。
観光地としても有名な魚市場(Fish Market)の一辻となりの建物の
2、3階にある店だ。



2008/09/27 16:04 The Fish Market on Male

体長1メートルを超えるマグロが無造作にバケツに
突っ込まれていた。

魚市場はいつ来ても活気がある。
スマガツオやアジが中心だが、たまにアオブダイやハタなども
並べられている。

かつては、腰にパレオを巻いたおじさんやおじいさんが
たむろしていたものだが、
今は市場で普段着のパレオ姿を見ることはほとんどない。
お祈りの時間にミスキー(モスク)に集まる年寄りの中に、
地味なチェックのパレオを巻いた人をやっと見つけるぐらい、
珍しい光景になってしまった。

2009/03/23

マーレ(Male)へ

2008/09/27 15:51 Inner Harbor, Male

昼食のあと午後3時までは自由時間だった。
各自パッキングを終えると、ダイニングや船尾のラウンジ・デッキで
まったりおしゃべりをして過ごした。

ドーニはまだ修理が終わらない。
別のサファリ・ボートから借りたと思しきドーニが
修理中のドーニの外側に横付けした。

そのドーニに乗って、マーレ(Male)へ買い物に出かけた。

フルマーレ(Hulhumale)からおよそ30分、
マーレの表玄関であるインナーハーバー(Inner Harbor)が
目の前に近づいてきた。

フライデー・モスク(正式名称はフクル・ミスキー:Hukuru Miskiiy)の
金の丸屋根とムナール(ミナレットとも言う)と呼ばれる塔が
見える。

フライデー・モスクは1656年に建造されたモルディブの聖地だ。
ムナールは1675年に建てられたという。



2008/09/27 15:53 Inner Harbor, Male

防波堤の向こうに見える赤い屋根の東屋は
大統領専用の桟橋(President's Jetty)で、
通称No.1 Jettyと呼ばれている。

その奥の緑は、ジュムフーリー・メイダーン(Jumhooree Maidhaan)
と呼ばれる芝生の広場。

一般のドーニは、No.1Jettyより東(向かって左)の岸壁に
横付けする。
岸壁なのに、みんなジェティ(Jetty;突堤、桟橋)と呼んでいる。

2009/03/22

ドーニがトラブる

2008/09/27 11:15 The Dhoani under repair at Hulhumale

船長が引っ張るバナナ・ボートに乗って嬌声をあげるゲストを
歓声を上げながらはやしていた頃、
母船に横付けしていたドーニでは、
クルーが緊迫した表情で作業をしていた。

母船からバッテリーや工具を運んでエンジンの具合を見ていたと思うと、
一人が水に入ってスクリューの様子を確かめ始めた。

昼食を終えてタバコを吸いに船尾のラウンジ・デッキに出てみると、
今度は舵をはずしている最中だった。

かつて、リゾートでガイドをしていた頃、
ダイビングの帰りにドーニのエンジンが止まってしまったことがあった。
ドーニ・キャプテンは30分足らずでトラブルの原因を見極め、
限られた工具とナイフだけで木を削って臨時の部品を作り、
小一時間で直してしまった。

そのときは、船を操る人たちが船の機構を熟知しているのに
感心したものだ。

午後はマーレまで行って買い物をする予定があるし、
夕方にはフルレ空港に送ってもらわなければならない。
それまでに直るだろうか?

2009/03/21

厨房を見せてもらう

 
2008/09/27 13:42 厨房(The Galley) of Handy Cruise at Hulhumale

シェフに許可を得て、厨房の写真を撮らせてもらった。
ブルーのポロシャツを着ているのがシェフだ。

広さは20平米くらいだろうか。
広々とは言えないが、
以前利用した他のサファリ・ボートの厨房より広い気がする。

小さな天窓があるだけで換気扇もない空間は
火を使っているとかなり暑いに違いない。

2009/03/20

素麺と魚のグリル

2008/09/27 13:03 Handy Cruise メイン・デッキ ダイニング at Hulhumale

ハンディ・クルーズ(Handy Cruise)での最後の食事は
いつもよりちょっとだけ豪華だった。

皿からはみだす大きさの魚のグリルが目を引く。
フエダイかハタだと思うが、魚種はわからない。
意外にきめ細かい肉で、癖がなくおいしかった。



2008/09/27 13:03 Handy Cruise メイン・デッキ ダイニング at Hulhumale

はまちゃん(今回のクルーズの仕掛け人で世話人)が
日本から大量に持ってきた素麺もシェフに頼んで茹でてもらった。
もちろん、わさびと麺つゆもはまちゃんは準備していた。

ちなみに左はライス。
ジャポニカ米だ。



2008/09/27 13:34 Handy Cruise メイン・デッキ ダイニング at Hulhumale

デザートにフルーツパフェが出てきた。
カットしたすいか、りんご、パパイヤの上にバニラ・アイスクリームが
乗っている。

2009/03/19

続・Jump!

2008/09/27 12:53 at Hulhumale on North Male Atoll

スリルと爽快感に味をしめ、更なる刺激を求めて
人はさらに高みをめざす。

というわけで、最上階サン・デッキにのぼる人がやっぱり現れた。
高さはゆうに5メートルを超えている。

下を覗き込んでいる白いラッシュ・ガードを着た女性は
さすがに躊躇している。



2008/09/27 12:54 at Hulhumale on North Male Atoll

全員が見守る中、勢いよく飛び出したのは
今回最年少参加(たぶん)、而立(30歳)のトガちゃん。
見事なフォームと滞空時間で、ギャラリーから喝采を浴びた。



2008/09/27 13:01 at Hulhumale on North Male Atoll

午後1時。
ウエイターのクルーから食事の準備が整ったことを告げられ、
このアトラクションは終了。

だが、ダイブした者はなかなかテンションが下がらず、
興奮した口調で高揚ぶりをまくしたて、
しばらくはラウンジ・デッキからダイニングへ移動しようとしなかった。

2009/03/18

Jump!

2008/09/27 12:50 at Hulhumale on North Male Atoll

スピード・ボートで引っ張ってもらうバナナ・ボート遊びは
エンジン・トラブルで3組だけしか体験できなかった。
そのフラストレーションを解消するためか、
盛り上がったハイな気分がそうさせたのか、
誰からともなくデッキから海に飛び込もうという話になった。

昨夜同様、まずはメイン・デッキから始まったが、
そのうち階上のブリッジ・デッキから飛び込み始めた。
女性も果敢にチャレンジしている。



2008/09/27 13:00 Stern of Handy Cruise, at Hulhumale on North Male Atoll

ハンディ・クルーズ(Handy Cruise)のスターン(船尾)は
小さなボートが横付けできるようになっている。
ステップもついているので水から直接上がれる。

また、真水のと水道が備えられているため、
海から上がってすぐに潮を落とせる。

ダイビングではここを利用することがなかったが、
この船はサーフィンや釣りのサファリにも使われているというから
サーファーや釣り人には便利な設備だろう。

それにしても、中年男たちのこの楽しそうな顔はどうだ。

2009/03/17

バナナ・ボートで遊ぶ

2008/09/27 11:29 バナナ・ボートで遊ぶ at Hulhumale on North Male Atoll

リーフに停泊している母船の上で、ゲストは思い思いに過ごしていた。
寄せ書きを書き終えて昼寝するもの、サン・デッキで日焼けするもの・・・
退屈をまぎらわそうと、カピサン(船長)のフセインが、
自宅からバナナ・ボートを取って来てくれた。

自作のモーター・ボートで引っ張ってくれるという。

さっそく3人が乗り込み走り始めた。
けっこうスピードが出ている。



2008/09/27 11:57 バナナ・ボートで遊ぶ at Hulhumale on North Male Atoll

次の3人が乗り込んだ。
リーフの中を500メートルほど行って戻ってきた。




2008/09/27 12:01 バナナ・ボートで遊ぶ at Hulhumale on North Male Atoll

船長は、わざわざ我々の目の前で急にスピードを速めて、
バナナ・ボートをチンさせてくれた。

母船から見ていた一同から拍手と歓声が起こった。



2008/09/27 12:02 バナナ・ボートで遊ぶ at Hulhumale on North Male Atoll

母船まで泳いで帰ってくる第2陣。



2008/09/27 12:03 バナナ・ボートで遊ぶ at Hulhumale on North Male Atoll

続いて次の3人が乗り込む。
よく見ると、ボートにはサメの顔が描かれている。
いかめしい顔がどこか可愛らしい。

スピード・ボートは3人を引っ張って北へ向かい、
他のサファリ・ボートの陰に隠れたが、それっきり姿を現さない。



2008/09/27 12:23 バナナ・ボートで遊ぶ at Hulhumale on North Male Atoll

心配したクルーの1人がディンギーで探しに行き、
3人を乗せて帰ってきた。

船長とスピード・ボートはどうしたんだろう?



2008/09/27 12:39 バナナ・ボートで遊ぶ at Hulhumale on North Male Atoll

ディンギーは3人のゲストを送り届けると取って返して行った。
かなりたってから、スピードボートとバナナ・ボートを引いて
帰ってきた。

どうやら、エンジン・トラブルのようだ。

結局、3組9人しか乗れずじまいだった。

2009/03/16

記念フラッグ

2007/09/27 10:20 Handy Cruise メインデッキ ダイニング at Hulhumale

午前10時20分、母船はフルマーレ(Hulhumale)のリーフ内で
投錨し、エンジンを切った。

ダイニングでは、世話役のはまちゃんが準備した
フラッグがテーブル上に広げられ、
ゲストが思い思いに寄せ書きをしている。

今回の航海中にキリ番のダイビング本数を記録した全員の
フラッグが用意されていた。



2007/09/27 10:45 Handy Cruise メインデッキ ダイニング at Hulhule

777本目を9月25日に迎えた郁江ちゃん向けのフラッグ。
午後の3本目、ミヤル・カンドゥ(Miyaru Kandu)でのチャネル越え
ダイビングだった。
Aチームは、20枚を超すマダラトビエイの群れと遭遇したという。
寄せ書きにも、あちこちにトビエイのイラストが踊っている。

2009/03/15

サファリ・ボート

2008/09/27 10:16 Manthiri at Hulhule on North Male Atoll

2007年のゴールデン・ウィークに利用したマンティリ(Manthiri)が
停泊していた。

客室は6室、ゲストは最大12名までという、
ボートの大きさの割にはゆったりした定員の
贅沢なサファリ・ボートだ。
日本人ガイドも乗船するが、わたしたちが利用したときは
アメリカ人4人と計6人だったので、
モルディビアン・ガイドが1名だけだった。



2008/09/27 10:18 a Shipyard for Safari Boat at Hulhumale on North Male Atoll

新造サファリ・ボートを造船していた浮きドック。
まだ柱と床だけの状態で、メインデッキ後部の壁をつくっていた。
マホガニー材を使っていたようで、贅沢な仕上がりになりそうだ。

母船は微速で前進していた。
アンカリングできる場所を探しながら、ゆっくり奥へ進んでいた。

2009/03/14

フルマーレ(Hulhumale)

2009/09/27 11:26 Hulhumale on North Male Atoll

マーレの東に位置する大きなリーフは、
フルレ(Hulhule)、フルマーレ(Hulhumale)、
そしてファルコルフシ(Farukolhufushi)の3島を抱えている。

そのリーフ内は、今や小型の船のハーバーとして賑わっていて、
100を超えると言われるサファリ・ボートが、
乗客を空港へ送迎する基地としてここを利用している。




2008/09/27 10:14 Container Wharf at Hulhumale on North Male Atoll

フルマーレの南西側にあるコンテナ埠頭。

フルマーレは首都マーレ(Male)の人口過密を解消するためと、
地球温暖化による海面上昇への対応策として組まれた
巨大プロジェクトだ。
平均海抜は2m。これはモルディブの島の中で最も高い。

ダイビングガイドとして働いていた1991年頃、
モルディビアンからその計画について話を聞いた。
実際に工事が始まったのは1997年だったという。

2006年11月の時点では、埋め立て工事はほぼ完了していたものの
フルマーレに人は住んでいなかった。
飛行機の窓から見下ろすと、
碁盤目状の道路が骨組みのように見える広大な空き地の中に
ミスキー(モスク)の丸い金屋根だけが目立つ殺風景な島だった。

2007年5月に訪れたときには、
ミスキーの周囲にアパートが立ち並び始め、
道に並木ができ、木立の一角が現れ、
マーレと結ぶフェリー埠頭ができていた。

住宅地と商業の中心として機能しはじめたフルマーレだが、
今後は北に隣接するファルコルフシ(farukolhufushi)まで
埋め立てを広げ、最終的には空港のあるフルレ(Hulhule)とも
一体化させ、リーフ全体を埋め立てる計画だという。

2009/03/13

水上飛行機

2008/09/27 10:11 Hulhumale

船は、フルレ(Hulhule)のリーフを掘り下げた
細い水路をはいっていった。
フルレの滑走路とフルマーレのリーフが作る護岸の内側には
数多くのボートが停泊している。
その多くがサファリボートのようだ。

フルレと他の環礁のリゾートを結んでいる水上飛行機は、
この画像の方向へ離着水する。
この飛行機を運行しているのは、
モルディビアン・エア・タクシー(Maldivian Air Taxi)と
トランス・モルディビアン・エアウエイズ(Trans Maldivian Airways)
の2社だ。

2007/05/06 11:12 Maldivian Air Taxi at Hulhule Airport on North Male Atoll


2007/05/06 10:17 Trans Maldivian Airways at Sun Island Resort & Spa on Ari Atoll

前者は赤と白の機体、後者はブルーと黄色の機体だ。

2009/03/12

フルレの滑走路

2008/09/27 10:11 The Runway of Hulhule International Airport

午前10時を10分ほどまわったところで、
母船はフルレ(Hulhule)の北端をかすめて、
フルマーレ(Hulhumale)のリーフ内に入った。

羽田空港も関空も海を埋め立てて作った空港だから
滑走路が海に突き出ているが、
さすがにフルレよりは海抜が高いんじゃないだろうか。

こうやって正面から見てみると、
滑走路が波をかぶらないか心配に思えてくる。

離着陸とタイミングが合えば、
頭上をかすめる航空機の下腹が間近に見えるのだが、
残念ながらその幸運に巡り合わせることはかなわなかった。

2009/03/11

「ブリッジ」

2008/09/27 10:04 Wheel House of Handy Cruise

船長(カピサン)がちびスピードボートに乗っているなら、
この母船は誰が操縦しているのか気になって
ブリッジを覗いてみた。

名前はわからないが、クルーの一人が操縦していた。
(あたりまえだ、誰かが操縦しているに決まっている)

床にチーフ・ガイドのアリ、ソファにクルーが2人寝ていた。
客室が満室なので、彼らはエンジンルームかここで寝るしかないようだ。

2009/03/10

フナドゥーとドゥーニドゥ

2008/09/27 9:59 Funadhoo on North Male Atoll

マーレ(Male)の北西には、タンカーや貨物船など、
大型の船が数多く停泊している。

オトさんがリゾートでガイドをしている最中(1990~91)に
湾岸戦争が始まり、

この海域に多国籍軍(フランス軍、オーストラリア軍など)の
巡洋艦や駆逐艦が停泊していたものだ。
リゾートもガラガラに空き、
ドーニ用の軽油が手に入りにくくなったことを理由に、
遠くのダイビング・ポイントに行かせてもらえなかったことを思い出す。
モルディブ国軍のジェット戦闘機が超低空飛行で哨戒している時の
爆音も忘れられない。

母船は、マーレの北にあるフナドゥー(Funadhoo)という小さな島を
右に見て北西へ向かっていた。
フナ(Funa)は、白い花をつける木の名前で、
ドゥー(Dhoo)というのは島のことだ。

このフナドゥーは、マーレに最も近い島ということで、
昔から戦略的な拠点だった。

16世紀後半、ポルトガルの占領下にあったとき、
8年間にわたる反戦ゲリラ活動の末殺害された英雄
ウテム・アリ・タクルファン(Utheemu Ali Thakurufaanu)の
首が、この島に葬られている。

その後、サメからオイルをとる工場や、
ココナツの繊維でロープを作る工場、養鶏場などが建てられたが、
現在は石油備蓄基地になっている。



2008/09/27  10:03 Dhoonidhoo on North Male Atoll

フナドゥーを過ぎると、左舷にドゥーニドゥ(Dhoonidhoo)が迫ってくる。

ディベヒ語で「鳥の島」という意味の美しい名前を持つこの島は、
イギリス統治時代に使われていた建物が今も残されていて、
現在は政治犯の収容に使われている。

この島を過ぎると、正面にフルレの滑走路が大きく横たわっている。

2009/03/09

ちびスピードボート

2008/09/27 09:58 北西側からMaleを望む on North Male Atoll

午前9時30分を少し過ぎた頃、母船がエンジンを切った。
スターボード(右舷)側にマーレの表玄関が広がっている。

間もなく、船長(カピサン)のフセイン(Hussain)を乗せて
ディンギーが商業港めざして去っていった。

20分ほど待っていると、ディンギーが戻ってきた。
一緒に小さなスピードボートがついてきている。
よく見ると、操縦しているのはフセインだ。

あとで聞いたのだが、フセインの兄弟が自宅の屋上で
自作したボートだという。

フセインは、そのままスピードボートでフルレの方角へ行ってしまった。
それを追うように母船が動き始めた。

2009/03/08

ヴィリンギリ(Villingili)

2008/09/27 09:18 Villingili

朝食前はまだ南マーレ・アトール(環礁)の北端にいたが、
食事中にヴァドゥー・チャネル(Vadhoo Kandu)を越え、
みるみるうちにマーレ(Male)が近づいてきた。

母船はマーレの西隣の島ヴィリンギリ(Villingili)との
チャネルへ向かった。
このVillingiliという島は現在無人島だが、
オトさんが初めてモルディブにガイドとしてやってきた1990年に
リゾートからローカル・アイランドへと生まれ変わった。
当時、マーレの人口は7万人を超えたといわれ、
過剰人口を解消するために住民を住まわせたのだ。

現在は、フルレ(Hulhule)空港の北にフルマーレ(Hulhumale)という
人工島が完成しすでに都市として機能し始めているので、
ヴィリンギリは無人島になっている。

画像の左に見える白っぽい施設は、こちらも20年前にはなかった
コンビナートだ。
東西に長く延びるリーフを埋め立てて建造されたと聞く。



2008/09/27 09:21 West side Corst of Male

マーレの西岸。
防潮堤らしいものもなく、海ぎりぎりまで建物がひしめいている。

クレーンが見えるところは商業港だ。

マーレの地図はこちら

2009/03/07

ヴァドゥーチャネル(Vadhoo Kandu)

2008/09/27 09:12 Vadhoo KanduからMaleを望む

朝食をとっている間に、母船は南マーレ・アトール(環礁)を離れ、
北マーレ・アトールとの間に横たわる
ヴァドゥー・チャネル(Vadhoo Kandu)にはいった。

朝から北から吹いていた風が、西寄りに変わり始めている。
この時期は南西からの季節風が吹くはずだが、
低気圧でも近づいているのだろうか?

舳先は、まっすぐマーレをめざしている。
水平線に蜃気楼のように浮かぶマーレの街並みが
ぐんぐん大きくなってきた。

1990年から1991年にかけて滞在し、
その後1994年まで毎年訪れていた頃に比べると、
ビルが林立していかにも都市の様相に変わっているのが
感慨深い。
2006年に12年ぶりに訪れてから毎年来ているが、
この光景を見るたびに同じ想いに捉われる。

2009/03/06

1日遅れの200本祝い

2008/09/27 08:46 Handy Cruise メインデッキ ダイニング

朝6時過ぎに起きた身にとっては、朝食までの3時間は長かった。
というわけで待ちに待った食事は例によってビュッフェ形式だ。

この朝並べられたのは、
生野菜(トマト、レタス)、シリアル2種、トースト、フレンチトースト、
ソーセージ、ロシ(小麦粉を水で練って薄くのばしたチャパティの
ようなローカルフード)、オムレツ、カレースープ、
マッシュルームのポテトクリーム煮、レンズ豆のチリコンカーニ
の10種。

ダイニングの船首側カウンターには常に4つのチューフィングが
据えられ、暖かいものが常に8品サーブされる。

そのほかに白い陶器の大皿に野菜や冷菜が必ず2皿、
さらにデザートが2皿でる。

この構成は、昼食でも夕食でも変わらない。

この朝、デザートにリンゴが出た。

スイカとリンゴ。

日本ではあまり考えられない組み合わせだ。



2008/09/27 09:07 Handy Cruise メインデッキ ダイニング

食後、デザートのとなりにケーキが並べられた。
ナイフが入ってピースに分けられているのでわかりにくいが、
”Nozomi 200 Dives”
とデコレーションされていた。

きのう200本目を迎えたのぞみちゃんのお祝いのケーキが
一夜遅れで出てきた。

たっぷり甘いスポンジに、さらに甘い色付きチェリーが
頭痛さえ誘う。