2009/06/30

さらにきれいになったダイニング

2009/05/03 10:39  It Has Been More Comfortable Due to Rugs and Cusions

朝食中、次の停泊は昼頃だというアナウンスがあった。

2時間半近くある。
ゲストの多くは昨夜の寝不足を補うべく 部屋に戻ったようだ。

オトさんもそうしたかったが、
前夜乗船したときに撮れなかったダイニングの写真を撮ることにした。

椅子とテーブルは変わっていないがブルーのクッションが加わり、
床にはラグが敷かれ、以前よりオシャレになった。
  • 前回のダイニングの様子はこちらでご覧になれます



2009/05/03 10:41 Also Arrenged Cushions on the couch

ダイニングの船尾側はソファのコーナーと
ブリッジ・デッキにつながる階段がある。
ソファの上にもカラフルなクッションがきれいに並べられ
ぐっと雰囲気がよくなった。

2009/06/29

トースター

2009/05/03 09:32 朝食に並んだ料理の一部(パンケーキとフレンチ・トースト)

マンタを見られなかったものの、
半年あまりのブランクを埋める慣らしのダイビングとしては
うってつけだった1本目を終えると、すぐに朝食だ。

シェフは前回と同じ人なので、メニューも味も一緒だ。
でも、フレンチ・トーストにはパウダー・シュガーがかかっているのと
一人づつ卵のリクエストを聞いてくれるようになり、
ここでもサービスがよくなっている。



2009/05/03 09:32 トースターが新設され、トーストが選べるようになった

もうひとつ。
トースターが増え、熱々のバタートーストが食べられるようになった。
甘党のオトさんはパンケーキやフレンチ・トーストの方をよく食べたが、
まわりの男性陣は4~5枚焼いていた。
パンが薄いので、それくらい簡単に食べられてしまうのだ。

我々が食事を取り始めるのとほぼ同時に、母船は南に向けて出発した。
今回は、前回とは逆に時計回りのルートをとると聞いている。

途中、マーレ(Male)でドーニと合流し、
ヴァドゥー・チャネル(Vadhoo Kandu)を越えると、南マーレ・アトールの
東側を南下していった。

2009/06/28

新ドーニ(Dhoani)とサービスのアップ・グレード

2009/05/03 09:08 新しいドーニは、スピード・ボートのような外観

フルレ空港で出迎えてくれたドーニは、前回とは違っていた。
クルーも前回とは入れ替わっている。

仕入れて間もないとのことで、
ダイビング用への改造がまだ完全ではなかった。

コンプレッサーはエア用のみでナイトロックスは積んでいない。
タンクをベンチに留めておくゴム・バンドもまだ半分しかついていない。
ウエット・スーツ用のハンガー・レールも午後取り付けるという。
法律で義務付けられているはずのダイビング・フラッグ(国際A旗)も
揚がっていなかった。

コンプレッサーの調子が悪いとかで、
マンタ・ポイントで潜った後、このドーニは先行して
マーレまで部品を取りにいっていた。

ハードが変わっただけでなく、
サービス面でグレード・アップしていることがあった。
前回は、1日1枚だったドーニで使う青いバス・タオルの支給が
エキジット後に毎回配られるようになった。

そして、母船に戻るたびにおしぼりを配ってくれた。
早朝ダイビングの後は熱いおしぼり、
昼のダイビングの後はよく冷えたおしぼりという気配りが嬉しい。

2009/06/27

ランカン・マンタ・ポイント(Lankan Manta Point)

2009/05/03 08:14 クマザサハナムロ at Lankan Manta Point (Paradise)

エンジンの始動音で目が覚めたのが午前5時45分、
5分後には船が動き出した。

アンカーを下ろすガラガラという音を合図に部屋を出てデッキに上がると、
目の前にランカンフィノール(Lankanfinolhu)が見えた。
この島のリゾート、
パラダイス・アイランド・リゾート&スパ(Paradise Island Resort & Spa)、
通称パラダイスの南東、外洋側のマンタ・ポイント
このサファリの記念すべき1本目だ。

ブリーフィングは朝7時ちょうどに今回のガイド3人の紹介から始まった。
全てモルディブ人だった。

Handy Cruiseはサーフィン・サファリ主体なので、
ダイビングでチャーターするときは、その期間ガイドを雇う。
そのため、前回9月のサファリの時とは顔ぶれが違っていた。

というわけでお互い初顔合わせの1本目のダイブは、
平均年齢40歳超、平均本数200本超のゲストにとって
ガイドをチェックするためのお手並み拝見ダイブになる。

ドリフトにちょうど良い穏やかなイン・ゴーイング・カレントにのり、
マンタのクリーニング・ステーションで待つこと20分。
マンタは現れず、結局島の内側までドリフトし続けて
肩慣らしダイブを終えた。
  • サファリ・ボートのルート・マップを右フレーム「サファリ航路図」にアップしました

2009/06/26

7ヶ月ぶりのHandy Cruise

2009/05/02 23:03 Welcome Drink and a Register of Liveaboard

フルレ空港(Hulhule International AirPort)の到着ロビーは
屋外だ。

屋根付きの細長い広場で、天井ではファンが回っているので
意外に過ごしやすい。
シンガポール航空で到着する人をここで30分ほど待ち、
ドーニ(Dhoani)でフルマーレ(Hulhumale)に停泊している
Handy Cruiseに移動した。

母船の船尾にドーニが横付けすると、
スタッフが冷えたおしぼりを配ってくれた。
前回はなかったサービスだ。

靴を脱いでダイニングに入ると、
椅子にクロスがかけられ、クッションが飾られていて
より豪華な雰囲気になっていた。

マンゴーとオレンジのノン・アルコール・カクテルで迎えられ、
乗船名簿とダイビングの免責書類を記入し、
船での生活と部屋割りに関するブリーフィングを受けた。



2009/05/02 23:27 Guest Room of Handy Cruise

部屋に入ったのは、午後11時半近くだった。
前回と同じ102号室をもらった。
ベッドはクッションでデコレーションされていた。
これも、前回よりアップ・グレードしているサービスだ。

汗だくになりながら荷物を解き、
シャワーを浴びて楽な服装に着替え、
ダイニングに戻って待ちに待ったビールで乾杯した。

ひとりエミレーツ航空で来る幹事のハマちゃんの到着を待って
いたので、ベッドに入ったのは午前3時近かった。

2009/06/25

フルレ国際空港

2009/05/02 21:08 International Airport Using Boading Ramp is Rare Nowadays

モルディブの表玄関、フルレ国際空港に着陸したのは
午後8時58分だった。
タラップを下りて地上に降り立ち、建屋まで歩いていくこの瞬間が
何より嬉しい。

だから、マンネリと言われようがワンパターンとそしられようが
ここに着くたびにある種の感慨とともに
シャッターを切ってしまう。



2009/05/02 21:09 The Neon Sign of Airport

そして、これも必ずおさえておくカット、
出発ロビーの屋根にかかっているターナ文字の電飾サイン。

この日、弟夫婦がシンガポール航空(SQ)で帰国する。
ひょっとして会えるのではとゲートの待合室を覗いてみたが、
まだ誰も下りてきていなかった。

前回(2008年9月20日)は友人夫婦とすれ違いだった。

2回続けて、同じ日の同じ時刻に同じ空港にいながら
会えずじまいという経験をした。



2009/05/02 21:11 Because of the Epidemic Swine Flu, We Had to Fill in the Health Declaration Form

メキシコ、アメリカで猛威をふるっている新型インフルエンザのせいで
モルディブでも検疫が強化されていた。

とはいっても、
入国審査カウンターの手前に置かれた粗末な机の前に
マスクをした女性事務員が2人いるだけの
急ごしらえの関所だった。

事前に何の説明も受けていなかったせいなのか、
書類を受け取らずじまいで提出しなかった人も多かった。

飛行機が到着するたびに殺到する入国者に
女性事務員も半ばあきらめ顔で、
職責に燃えているようには見えなかった。

2009/06/24

ちょっとユニーク

2009/05/02 21:19 The In-flight Meal (Chicken Curry) from KL to Male

定刻ぴったり20時05分にゲートを離れたMH189便が
水平飛行に移ってからの機長の挨拶が
「Ladys and Gentremen, Boys and Girls」
で始まったので、思わず笑ってしまった。

その後すぐに供された機内食は、チキンかベジタブルの選択だった。
オトさんがチキン、アケちゃん(嫁)が野菜を選んでみると、
カレーの具がチキンかブロッコリーの違いだけで、
あとは何から何まで同じだった。

右端の紫の包装は、ストロベリー味のチョコ・ウェハスだった。

トレイを配ると同時にコーヒー(紅茶)とワインもサーブするという、
省力サービスだった。

何だか、楽しい。



2009/05/02 21:40 Aftermint Contains Fennel Seed and Crystal Sugar

砂糖・塩が入っているビニール袋には、
フェンネルの口直しが一緒に入っていた。
ザラメと雑穀もブレンドされている、
インド料理店のテーブルやレジ脇に置いてあるあれだ。

スパイスなら何でもウェルカムのオトさんには
嬉しいサービスだ。

マーレに近づき、降下に移る少し前、
フライト・アテンダントがエアコン吹き出し口に向けて
一斉に殺虫剤を吹きつけ始めた。

スリランカ航空で同じことをやっているのを見たが、
何のためにあんなことをするんだろう?

2009/06/23

KLIA再び

2009/05/02 18:31 The Mysterious Official Car on the Departure Floor of KLIA

昨日とは逆のルートをたどり、
午後6時少し前に空港についた。

同行していた2人といったん別れ、預けていた荷物を引き取った。

預け証を見せると、24時間以上経過しているから
1日分の超過料金RM60.00(約1,740円)を払えという。
「昨日前払いする時に、『引き取りは翌日午後6時過ぎになる』
と告げたが何も言われなかった」
とコンプレインしたらあっさりOKだった。

どうやら、この国では言ったもん勝ちらしい。

チェック・インを済ませてタバコを一服するために外に出ると、
ナンバー・プレートの代わりに紋章がついた黒塗りのベンツが
車寄せに止まっていた。

要人が出国するのだろうか?



2009/05/02 18:37 You Can Exchange RM to Jp Yen Directly at the Airport

余ったリンギットを両替しようと銀行の窓口に行ったら、
銀行ごとにレートが微妙に違っていた。
どの銀行でも日本円とリンギットを直接両替できるようだ。

この日のレートは、買い(RM→JPY)25.18円(RM3.97=JPY100)
売り(JPY→RM)28.74円(JPY100=RM3.48)だった。




2009/05/02 18:51 The Airotrain Connects Contact Pier to Satelite 'A'

建物奥のエスカレーターを下りたところがイミグレーションだ。

それを越えると、
左右に伸びるサテライトと
エアロ・トレインという名のシャトルの乗降場がある。

出発便はゲートCなのでシャトルに乗ってサテライトAに行く必要があった。

乗ってみるとサテライトAは遥か彼方で、
シャトルは無人運転が不安になる程のものすごいスピードで疾走した。



2009/05/02 18:53 The Information of KLIA

この案内板を見て、初めてKLIAの全容を把握した。
右下の黄色い建物がコンタクト・ピアと呼ばれるメイン・ターミナル、
そこにABGHのゲートが隣接している。

十字型の建物がサテライトAで、
こちらはコンタクト・ピアより遥かに大きい。
確かに、十字が交差する中央部だけでもかなり広く、
ここに集中している免税品店やカフェを眺めるだけでも
けっこうな時間がかかってしまった。

2009/06/22

KL RapidでKL Sentralへ

2009/05/02 17:08 The Magnetic Card Ticket for KL Rapid Kelana Jaya Line

そごう地下のスーパー・マーケットで900円程度の買い物をした以外、
インド人街でもチャイナ・タウンでもひたすら歩き回るばかりで、
結局何も買わなかった。

パサ・セニ(Pasar Seni)駅のすぐそばのハンバーガー・ショップで
コーラを飲んで一休みしたあと、
空港へ向けて移動することにした。

KLセントラル(KL Sentral)駅までは一駅、
そこからKLエクスプレス(KL Expres)で30分だ。



2009/05/02 17:09 Vehicles of Rapid KL

Rapid KLは3つの路線がある高架鉄道だ。
モノレール、2路線あるKTMコミューターと合わせると、
ほとんどの場所へ行けるらしく、交通網は整っている。

車両も新しくてきれいだ。
何より運賃がべらぼうに安い。


一日中歩き回ったのにいわゆる名所はどこも訪れずじまいだったが、
楽しい1日だった。

2009/06/21

チャイナ・タウン


パサ・セニ(Pasar Seni)駅からおよそ10分歩いて、
チャイナ・タウンの中心、ペタリン通り(Jalan Petaling)の南端に着いた。
派手な門は、横浜中華街のものと派手さでは負けていないが、
どことなく安っぽさが漂っていた。

ブラブラ歩いていると、左右の屋台から声が飛んでくる。
ちゃんと日本語で「社長さーん!」と呼びかけてくるのが不思議だ。
どうして、韓国人や中国人と見分けがつくのだろう?




築2、30年はたっていそうな低層ビルが並んでいる。
1階は総じて店舗なのだが、目の前を屋台がふさいでいた。
営業妨害にならないのだろうか?

上の階がホテルという建物がけっこう多い。



2009/05/02 15:55 A Stall Selling Watchs

通りを埋める屋台は、
Tシャツ、バッグ、靴、携帯電話、そしてなぜか時計屋が多かった。
いずれもどこかで見たようなマークかロゴがついている。

東京なら、銀座に基幹店を出すようなブランドだ。

VとLを組み合わせたバッグに至っては、モノグラムを基調に、
おおきな2つのアウト・ポケットは片方がマルチカラー、
もう一方はスティーブン・スプラウスという代物で、
まるであり得ないデザインに思わず笑ってしまった。

こういう大らかさは嫌いではないが、
知的財産権やら商標権がことさら取り沙汰されるようになった日本では
もう見られなくなった商売が
この地ではいつまで成り立つのだろう。

2009/06/20

Pasar Seni周辺

2009/05/02 15:35 KL Railway Station

Rapid KL クラナ・ジャヤ線(Kelana Jaya Line)の地下駅
マスジット・ジャメ(Masjid Jamek)を出た電車は、
まもなく地上に出て川沿いの高架軌道を走った。

パサ・セニ駅(Pasar Seni)のホームは、見晴らしがいい。

丸屋根と尖塔が白く輝く旧クアラルンプール中央駅が
半分隠れてしまっているのが残念だ。




駅の階段を下りたところはバス・ターミナルで、
その向かいはごちゃごちゃした通りだった。
漢字が踊る食堂の脇にある細い階段から、
バック・パッカーらしい白人が出てきた。
2階から4階は、ゲスト・ハウスになっているようだ。

我々4人は、
チャイナタウンの中心、ペタリン通り(Jalan Petaling)をめざして
歩いていくことにした。




途中で渡った通りは
今まで見てきたクアラルンプールとは違った風情があった。
漢字の看板、カラフルに塗られた建物の壁、
舗道に無造作に積み上げられた商売物の生地。

ついさっき歩いたマスジット・インディア(Masjid India)とは、
ガラリと雰囲気が違って、チャイニーズ色がプンプンする。

白人観光客がブラブラ歩いている姿も、さっきまでは見かけなかった。

2009/06/19

マスジット・ジャメ(Masjid Jamek)


マスジット・インディア通り(Jalan Masjid India)の
屋台通りを歩き続けるのも飽きてきたのと、
炎天下にいるのがつらくなったので
例によってエアコンの効いた場所を探すために
角を曲がって広い通りに出てみた。
トゥアルク・アブドゥル・ラーマン通りは、片道3車線の大通りで
大きなビルが並んでいるオフィス街だった。

1本戻ると、生地屋が並ぶ通りだ。
なぜか革ジャケットやボアつきのコートを売っている店もあった。

だが、ブキッ・ビンタン(Bukit Bintang)にあったような
カフェやファースト・フードの店は見当たらない。

地図を頼りに、突き当たりを右折してメラユ通り(Jalan Melayu)に入ると、
何軒か食堂を見つけた。
間口を開け放った店は店内に扇風機もなく
涼をとるにはふさわしいとは思えず、もう少し先に行ってみることにした。

大きな通りにぶつかると、正面に広いモスクが見え、その手前に駅があった。

モスクは、1909年に完成したマスジット・ジャメ(Masjid Jamek)、
駅はRapid KL(高架鉄道)アンパン線のマスジット・ジャメ駅だ。

この、クラン川とゴンバック川が合流する三角州の地点が
クアラルンプール、ひいてはマレーシア発祥の場所だという。

だが、それらしい記念碑も説明板も見つけることはできなかった。
というか、それよりわたしたち一行は一刻も早く身を休められる場所を
探していた。

結局、マクドナルドの看板を見つけて、そこで昼食を兼ねて
大休止することになった。




次はチャイナ・タウンに行ってみよう、と意見が一致したところで、
Rapid KLのクラナ・ジャヤ線(Kelana Jaya)に乗ることにした。

地図で見ると、マスジット・ジャメ駅から
1駅のパサ・セニ(Pasar Seni)駅で降りればいい。

さっきの駅に戻ると、アンパン線しか案内がない。
駅員に聞いても、言葉が通じない。

せっかくだからと、モスクを柵の外から眺め、
川を渡って、歴史発祥の合流地点まで行ってみた。
護岸を固められた川がおよそそれらしく感じられないのは、
日本の道路の起点、日本橋と同じだった。

などと、このあたりをうろうろしていたら、
偶然クラナ・ジャヤ線の駅への通路を見つけた。

高架線だとばかり思い込んでいたので、
核シェルターの入口のような無骨なコンクリートで覆われた
地下への階段の脇にTren(Trains)とだけ書かれた
小さな看板を見落としていたのだ。




同じ駅名でも都営地下鉄と東京メトロでは
乗り場が離れた場所にあるように、
同じRapid KLでも、路線が違うと駅の場所も違っていたのだ。

人気(ひとけ)のない殺風景な地下道を100mほど歩くと、
広い階段からひっきりなしに人が出入りしている地下広場に出た。

どうやら、こちらがメインの出入り口だったようだ。



2009/05/02 15:25 The Automated Ticket Gate of Masjid Jamek Station

地下広場といっても何があるわけではなく、
自動券売機と自動改札口があるだけだ。

切符は磁気カード、料金はRM1.00(約30円)だ。

壁には電飾看板もあって、やっと駅らしくなってきた。
空港に行くKL Expresや、モノレールに比べると、
設備は年季がはいっている。
ホームは、改札からさらに階段を下りたところにあった。



2009/05/02 15:32 Advertisements on the Ceiling of the Train

ほどなくやってきた電車に乗ると、日本と違い中吊りも額面もない。
代わりに天井に大きなプリントが貼ってあった。

天井にエアコンの吹き出し口があってデコボコしている日本の電車だと
実現は難しそうだ。

2009/06/18

まだマスジッド・インディア通り(Jalan Masjid India)

2009/05/02 13:47 Fried Chicken Wing

空腹のせいか、食べ物の露店ばかりが目につき、
ついついファインダーを向けてしまう。

手羽先揚げと、その奥にはさっき見た練り物のサテーが並んでいた。

かき氷を作るための氷削機と大きな氷を積んだリヤカーが
人込みを縫っていった。

これから店を開けるのだろう。
食べたかったが、もと来た道を戻るのは癪だったので、
我慢した。

だんだん、ストイックになっていく自分がいる。




通りを南に下るにつれて、服飾品、
特にトゥドゥン(ショール)を売る店が増えてきた。

マレーシアのムスリマ(ムスリムの女性)にとっては
いちばんおしゃれ心をくすぐるアイテムなのだろう。




恥ずかしくて手にとって見ることができなかったが、
レーヨン製のリーズナブルなものから、シルク製のものまで
いろいろあるようだ。

値段をみておけばよかった。

ちなみに、舗道には黄色く小間割りがしてあり、番号が振ってある。
各露店のテントも同じ規格のようだし、
一見ゴチャゴチャしているようだが、
気をつけてみているときちんと秩序だっているのは、
規制があるのだろう。

2009/06/17

そごうとインド人街


ベルジャヤ・タイムズ・スクエア(Berjaya Times Square)の
目の前にあるインビ(Imbi)駅から
隣のブキッ・ビンタン(Bukit Bintang)駅までの料金は
一人RM1.20(約35円)だった。
コーヒー1杯の8分の1以下の値段だ。

部屋に戻ってシャワーを浴び、慌しく荷造りして
レセプションでチェック・アウトを済ませた時には
12時を少しまわっていた。

昨夜アロー通りで一緒に夕食をとった6人のうち、
4人はフェデラル・ホテル(Federal Hotel)のプール・サイドで
のんびりすると言っていた。
残りの2人とは、午後から一緒に街を見物しようと、
グランド・ミレニアム(Grand Millennium)で落ち合う約束をしていた。

ロビーのふかふかのソファで、我々は夕方までの行動計画を練った。

海外に出るとローカル向けのスーパー・マーケットで
食材やみやげを必ず漁るオトさんとアケちゃん(嫁)は、
コンシェルジェにメガ・マートの場所を教えてもらうことにした。

タクシーで少し行った新興住宅地のそばにあるという返事だったが、
それだけのためだけに時間を割くというのもためらわれたので、
さらに聞くと、旧市街の『そごう』の地下にもあるという。

地図を見ると、インド人街やチャイナ・タウンにも近い。

よしっ、決定!
というわけで、ベル・ボーイにタクシーを呼んでもらった。
ベル・ボーイはホテルの名刺に自分の名前を書き、
トラブルがあったら連絡をくれと言って渡してくれた。
料金メーターがきちんと動いているタクシーだったので、
ボラれることなく、RM13(約380円、割り勘で一人95円!)で
連れて行ってもらえた。

『そごう』店内は、
トゥドゥン(Tudung:ベール)を被った女性客で賑わっていた。
ブキッ・ビンタンの街角よりその比率は圧倒的に多い。



2009/05/02 13:44 Jalan Masjid India

未練がましく、『そごう』でもシャツと帽子を探したが、
目当てのデザインはここにも置いていなかった。

地下のスーパーで買い物を済ませたあと、
我々4人はマスジット・インディア通り(Jaran Masjid India)を
南へ向けてそぞろ歩いた。
両側にずらりと露店が並んでいる遊歩道だ。
食べ物、サンダル、Tシャツ、サリーやトゥドゥンなど、
売っているものはほとんどが日用品だ。




昼をだいぶ回っていたが、食べ物の屋台が目についた。
このサテー(Satay)の店は、さつま揚げやつくねのような練り物を
その場で揚げて並べていた。

後ろの駐車場には天幕が張られ、
その下に並べられたテーブルで昼食をとっている人がたくさんいる。




この店はシンプルなランチ・プレートをRM4.00(約115円)で売っていた。
ごはんの上に鶏のもも肉と、レタスとトマトが一切れづつ乗っている。

そろそろ腹が減ってきたが、どうにも暑い戸外で食事をする気になれず、
もうしばらく歩いてみることにした。

2009/06/15

ショッピング・プラザ巡り

2009/05/02 10:14 "Lot 10"

下町の香りが強かった一角を1時間近く歩き回って、
いささか疲れを感じたのと、
朝とはいえかなりの暑さで汗だくになったので、
エアコンの効いた場所で一休みすることにした。

それらしき店が見当たらなかったので、
坂道を登っていったんブキッ・ビンタン通り(Jalan Bukit Bintang)に
戻り、開いているカフェを探した。

最初に目についたKLプラザ1階のしゃれたテラスつきカフェは
10時開店と言われて入店を拒否されてしまった。

サルタン・イスマイル通り(Jalan Sultan Ismail)を下った
San Francisco Coffee(スタバのようなカフェ)が開いていたので
エアコンの効いた店内でアイス・コーヒーを飲んで
しばし涼ませてもらった。

Mサイズのアイス・コーヒーとアイス・ラテでRM21(約610円)だった。

10時を少し回ったところで店を出て、
目の前の緑色のショッピング・ビル「Lot 10」に入ってみた。

広い吹き抜けの中央に派手なエスカレーターがあり、
回廊式のフロアに店が並んでいる。

ファッション、靴、スポーツ用品など
若者向けの店が中心だ。

ここには伊勢丹もはいっていたが、品揃えは日本と違い、
ローカル向けの衣料品がメインだった。

店内を一巡りしてから、サルタン・イスマイル通りを横切って
向かいのスンガイ・ワン・プラザ(Sungei Wang Plaza) に行ってみた。

こちらはずっと庶民的でゴチャゴチャしている。
広いフロアに網の目のように通路があり、
その両側に狭い間口の店がぎっしり並んでいる。
携帯電話、衣料品、子供服、靴、カバン、民芸品など
雑多な店が秩序なく隣り合わせていて、
床屋やマッサージ店、旅行代理店もあった。
ショッピング・センターというより、バザールやマーケットが
そのままビルの中に凝縮している感じだ。
そう、アメ横のような雰囲気といえばぴったりだ。



2009/05/02 10:46 "Berjaya Times Square"


次に「ベルジャヤ・タイムズ・スクエア(Berjaya Times Square)」に
向かった。

モノレールのインビ(Imbi)駅と直結しているツイン・タワーに、
ホテル棟のほか、シネコン、室内遊園地、ショッピング・モールが
入っている巨大複合施設だ。

ショッピング・モールのエリアは6階まで大きな吹き抜けで、
「Lot 10」と同じような構造だが、規模は桁違いに大きい。


とはいえ、中のテナントは意外に庶民的で、
高級ブランドを見かけることはなかった。

駆け足で3ヶ所を巡ってみたが、探していたものは見つからなかった。

アロハ系のシャツと、エクアドル製のパナマ帽は、
クアラルンプールではまったく流行っていないようだ。
それとも、探す場所が違っていたのだろうか?

疲れて不機嫌になり始めたアケちゃん(嫁)を気遣い、
タクシーを使って帰ろうとしたが、目的地が近すぎたせいなのか、
乗り込む前にホテルの名前を言った途端、
知らないと言われて逃げられてしまった。
で、結局1駅だけモノレールを使ってホテルに戻った。

2009/06/14

屋台とバラックと高層ビル


車道の脇の一段低い道路にも、屋台が数件並んでいた。
カレーの香りが漂っている。
インド系のおにいさんが、鉄板の上でチャパティを焼いていた。




左奥に見えるのが、先ほどのインド料理の屋台だ。

金網に洗濯物が干してあった。
写真ではわかりにくいが、
クリーニング屋でもらう針金ハンガーを横に使って、
シャツが膨らむようにしてあった。
風通しを良くして、早く乾かす工夫だろう。

なかなかいいアイディアだ。
パクらせていただくことにして帰国後さっそく試してみたが、
確かに早く乾くような気がするものの、
場所をとるのが難点だった。




1ブロック東南へ移動すると、
大きな木が何本か木陰を作っている一角に出た。
緑に塗られた屋根とフェンスが派手派手しいバラックが立っている。

いわゆる屋台村だった。
しかも、朝から結構客がはいっている。




1ブロック丸々の長さがあり、中はかなり広い。
両側にはずらりと屋台が並んでいる。
営業しているのは3分の1ぐらいだろうか?

朝食をとったばかりでなかったら一休みしたい雰囲気だ。




アパート街の一角にぽっかり空いた空間に、
異彩を放つバラックだ。
夜になると近所の住人やローカルな雰囲気を好む観光客で賑わうのだろう。

すぐ向こうには、
ブキッ・ビンタン(Bukit Bintang)の近代的なビルがそびえている。

黒澤 明の『天国と地獄』を思い出してしまった。
月島のもんじゃ街をはじめ、20年ちょっと前の東京下町や
青梅街道北側の西新宿など、東京のあちこちにもこんな風景があった。

2009/06/13

新旧2つの顔



どこへ行くかあてのないまま、
マレーシア政府観光局のサイトのプリントアウトと市内の地図、
それにミネラル・ウォーターだけ持ってホテルを出た。

とりあえず、昨晩来たモノレール駅とは逆方向に
ブキッ・ビンタン通り(Jalan Bukit Bintang)を東に向かってみた。

ホテルの隣は、パビリオン(Pavillion)という名の巨大な複合ビルだ。
六本木ヒルズのようなものを思い浮かべてもらえば近いだろうか?
その一角に高級ブランド店が並んでいた。

ショッピング・モールには、左右にしゃれたオープン・カフェの飲食店や
ブランド・ショップが並んでいた。
朝10時前だったのでビルの中には入らず、
モールを抜けてビルの裏側に出たが、
これが裏目に出て、広い道路を延々1ブロック分
ぐるりと一回りさせられてしまった。




一回りしていったんホテルの手前まで戻り、
KLプラザ(KL Plaza)というショッピング・ビルの角を曲がり
坂道を真っ直ぐ下ると、急に古い庶民的な街並みが現れた。

バブル全盛期、古い密集した町並みがどんどん地上げされ、
大きなビルに変わっていった頃の東京の風景そっくりだ。




通りの向こうの舗道に屋台が何軒か並んでいる。
舗道を占拠している簡素なテーブルで、
遅い朝食をとっている人たちがいた。

目抜き通りからたった1ブロックしか離れていないが、
観光客は滅多に来ないのだろう。
お互いにジロジロ見合ってしまった。

舗道の後ろは1段低くなっていて、旧道といった感じの路地が走っている。
そこに面した(30年前ならこじゃれていたに違いない)アパートの1階も、
軒並み食堂だった。

2009/06/12

4.5スター・ホテルを探検

2009/05/02 08:36 The Round Table Banquet Room on the First Floor

ひととおりグランド・ミレニアム(Grand Millennium)のロビーを見終わり、
大階段を昇ってみた。

階段の途中からロビーを見下ろすと、
イブニング・ドレスとタキシードに身を包んだ紳士淑女が似合いそうな、
あるいは映画のセットのような大時代な匂いがした。

階段を上ると右にレストラン「ザ・ミル」の入口、
左には円卓のある個室があった。
朝早いというのに、すでにテーブル・セッティングが終わっていて、
いつでも客を迎えられる準備が整っていた。



2009/05/02 08:44 Swimming Pool on the Third Floor

3階のボール・ルームと4階のコンベンション・ルームは
鍵がかかっていて中を見ることはできなかったが、
ホイヤーとトイレを探索した。

中4階のヘルス・クラブでは、愛想のいい受付のおねえさんが
施設をひととおり案内してくれた。

4階は中央棟の最上階で、半分がコンベンション・ルーム、
半分は屋上プールだった。
プールに面してバーがあり、ガーデン・パーティーもできる造りになっている。

タキシードを着たままプールに飛び込んでプールの底で乾杯をしたのは
映画『グラン・ブルー』だったろうか?

ここなら、まんま同じことができそうだ。



2009/05/02 09:27  The Outward Appearance of Grand Millennium

小一時間ほどでホテル館内を探索し終え、
いったん部屋に戻ってから散歩に出た。

レセプションで得た情報によると、
周辺のショッピング・センターは10時開店だという。

どんな店が入っているのか興味があったし、
欲しいものもあったので、
10時を過ぎたらショッピング・センター巡りをするつもりだ。