2009/09/26

出発前夜



明日9月27日から7日間、西表島に潜りに行く。
あらかじめ「ゆうパック」で送っておいた器材は、
日本郵便のサイトで確認したら
昨日のうちに民宿に無事配送されたようだ。

我が家に6頭いる猫の留守中の世話も、
信頼できる人に頼んだ。
ただ、最長老のアハメッタ(17歳、メス、白)だけは
極度の偏食で数時間おきに気まぐれに少しだけしか
摂食しないので、
獣医に預けることにした。





もともとおとなしくて賢いアハメッタは、
われわれがしばらく家を空けることをすでに理解している。
そして、生後3ヶ月からお世話になっている獣医に
1週間預けられることも納得してくれているようだ。

17年間愛用のペット・キャリーにも素直に納まってくれた。
動物病院でも極めておとなしくしてくれていた。

パッキングも済んでいる。
あとは、明日朝6時過ぎに出発するだけだ。

2009/09/22

次の旅の準備



世間はシルバーウィーク真っ只中だ。
知り合いのダイバーは皆どこかにでかけている。

でも、われわれは家でくすぶっている。
だが今日、次の旅行のための荷造りを始めた。

チマチマと貯めてきたマイルの一部が11月で失効してしまうのが
もったいなくて、特典航空券に交換した。
だが、海外に行くにはマイルが足りない。
というわけでの沖縄だ。

特典航空券はどの時期でも2ヶ月前から予約できる。
だが、混んでいる時期の便をとるのは至難の業だ。
だから、海況が悪くなりかける時期なのを承知の上で
シルバーウィークの翌週に座席をとった。
宿もダイビング・サービスも空いているだろうから、
わがままが効きそうなのが救いだ。

過去、沖縄には2度だけ行ったことがある。
1989年の小浜島と1991年の慶良間(座間味)だ。
もう、18年以上も前のことになる。





押し入れ用のコンテナに詰めてあったダイビング器材を
床にひろげていたら、
我が家に6頭いる飼い猫を束ねる統領アハメッタ(17歳、メス、白)
またの名を大御台所(おおみだいどころ)天璋院篤姫
(てんしょういんあつひめ)がやってきた。
空(から)のスーツケースに入ってチェックを始めたと思うと、
この表情を見せた。

大御台さまは、われわれが長く家を空けることを
事前に察知する能力がある。
そして、そのたびに文句を言う。

今回も、思いっきり不満げだ。



 

送料を節約しようと荷物をひとつにまとめようとしたら、
2人分の器材はスーツケースに収まりきらなかった。
もらいもののダイビング用のキャスターバッグに
詰め直したら、30kgを超えてしまった。

でも、2,100円で済んだ。

ついでに着替えも別のスーツケースに詰めてしまった。
こちらは羽田へ持っていく。
海外に行くときはひとり20kgを超える着替えも、
今回はTシャツ3枚、短パン2枚だけに抑えて、
2人で15kgに絞った。

民宿には自由に使える洗濯機があるそうなので、
洗濯しながら1週間着回すつもりだ。

2009/09/20

そして旅は終わる


2009/05/10 19:53 The Shuttle Links the Airport and the Car Park

検疫の事務所で体温を測り、問診を受け、
書類2枚に必要事項を記入させられ、
解放されたあとは、
入国審査、ラゲージ・クレイム、税関を順調に抜け、
到着ロビーへとたどり着いた。

9日間一緒に過ごした仲間と別れ、
民間駐車場の送迎車に乗り、
10日ぶりに愛車アップルⅡ世号と対面した。

10日前はエンジン警告灯がつきっ放しでビビッたが、
帰りの高速では1度も警告灯がつくことはなかった。

2009/09/19

続・成田の新しい関所


2009/05/10 19:19 The Caution to Passengers from U.S., Canada, Mexico


新型インフルエンザの発生が最初に確認されたメキシコ、
多くの患者が認められるアメリカ、カナダからの入国者には
特に厳しく検疫の検査が施されているようだった。





2009/05/10 19:19 All in Charges of Quarantine Had Worn Mask and White Robe 

日本を出るときから予測していたことだが、
これほど神経質になっているとは思わなかった。
係員は全員マスクと白衣姿で、ものものしい。




2009/05/10 19:20 There Were Thermography in Front of  Quarantine Officers


いつもなら、入国審査までスルーパスだった検疫は、
ひとりひとり申告書をチェックされていた。


係官の前にはサーモグラフィが据えられている。
水際作戦は、結局、功を奏さなかったことを知っている今となっては
滑稽ですらある。

さて、「咳が出る」の項目にチェックを入れたオトさんは、
係官から、脇の事務所に行くよう告げられた。

事務所に行くと、
別の職員から詳しく症状を聞かれ、熱を測られ、
別の(更に細かい内容の)申告書を2枚記入させられた。

体温が平熱だったことと、咳以外の症状がなかったので、
症状が出たときの連絡先が載っている紙をもらって
解放された。

2009/09/18

成田の新しい関所


2009/05/10 19:17 To Prevent Pandemic Influenza, All Passengers Had to Fill in the Health Declaration Form at the Quarantine of Narita Airport

定刻より少し早く成田に着陸したものの、
降機したのは午後7時を回っていた。

いつもならガランとしている検疫に
新たにボックスが設けられ、
その手前には書類を記入するためのカウンターが
整えられていた。




2009/05/10 19:19 People who had Filled in the Form

モルディブに入国するときに書かされたのと同じような内容の
申告書に全員記入させられた。

咳や熱がなかったか、どこに滞在していたか、
日本国内の滞在先(住所)と連絡先が記入事項だ。

症状があったと記入するとどんな対応をされるのか
興味があったので、
「咳が出る」にチェックを入れてみた。

2009/09/17

成田便の機内食


2009/05/10 12:35 In-flight Meal "Beef"

定刻11時きっかりにスポット・アウトした
成田経由ロサンゼルス行きMH70便は、
滑走路まで11分間もタキシングした。
さすが、世界第2位の広さを誇る空港だ。

昼食の機内食はビーフとチキン。
エビのサラダとそば、プリンがついていた。

成田から我が家まで車の運転があるので
アルコールは控えて、ジュースで我慢しなければならない。




2009/05/10 12:35 Another In-flight Meal "Chicken"

チキンのほうは、サフラン・ライスとカバブ。
カレー味だったそうだ。




2009/05/10 16:35 Ice Cream Bar After the Evening Light Meal

夕方に軽食が出た。
チーズと野菜をロールパンに挟んだロール・サンドと、
ツナ・サンドだった。

食べ終わってトレイを返すと、
入れ代わりにアイスクリームが出てきた。

予定では成田到着は19:10。
あと2時間半で、休暇が終わる。

2009/09/15

搭乗拒否?

 
2009/05/10 10:38 Security Check of Boarding Gate on Satellite 'A', KLIA

喫煙ルームでライターを貸したデンマーク人女性と話をしていたら
オトさんたちが乗るフライトのファイナル・コールがあった。

ゲートに行くと、セキュリティ・チェックの手前で
長い列ができている。
よく見ると搭乗に手間取っているようで、
改札機の手前から列が伸びていた。



2009/05/10 10:45 Boarding Check by Hand

列に並び、自分の番が近づいてきて状況がわかった。

ボーディング・パスを改札機に通さず、
係員がいちいちリストと照らし合わせていたのだ。

改札機の故障だろうか?



2009/05/10 10:46 We Were Taken Check up on the List

オトさんの番になった。
リストとボーディング・パスを照合した後、
後ろのカウンターでもう1度チェックを受けろという。

理由を聞いたが、カウンターで聞いてくれという。
次の搭乗客のチェックで忙しいのだろう。

再度照合を受けている間に
傍らにいたグランド・スタッフに聞くと
マーレからのトランジットの乗客だけ別カウンターで
チェックしているという。

マーレでのチェック・インの際に
何らかのトラブルがあったようだが、
グランド・スタッフも詳細は把握していないようだった。

搭乗の遅れがあったにもかかわらず、
定刻にドア・クローズしたのでホッとした。

2009/09/14

目覚めればKLIA

2009/05/10 10:34 Coming Toward Boarding Gate at Satellite 'A', KLIA

日本での23時就寝、6時起床の習慣を
Handy Cruiseでも貫いていたので、
時差が4時間あるモルディブでは午後9時を過ぎると
眠くて仕方がなかった。

だから、フルレを離陸した午後10時20分にはすでに熟睡していた。
途中、軽食が出たらしいが覚えがない。
コロンボ空港に着陸した揺れで目が覚め、
満席の約半分が降り、しばらくしてまた満席になったのを確かめて
再び眠りに落ちた。

まだ暗いうちに朝食が出たのをおぼろげに覚えているが、
カメラを入れたままのジャケットを
フライト・アテンダントに預けてしまったので、写真がない。

クアラルンプール国際空港(KLIA)でのトランジットは
約3時間だった。

アケちゃん(嫁)の会社へのおみやげにチョコレートを
探したが、気に入ったものが見つからず、
結局買うのをあきらめた。

それにしてもサテライトのエアコンは効き過ぎだ。
そう思ってジャケットを用意していたが、
それを着ていても肌寒い。

2009/09/13

お客様、オーバー・ウエイトです

2009/05/09 21:54 Airbus A330 for Kuala Lumpur via Colombo

荷物をまとめ終えたのは、
Handy Cruiseを出立する5分前だった。

ドーニでフルレ空港まで送ってもらい、チェックインする。
スーツ・ケース2個とキャリー・バッグ1個で65kgだった。
おみやげの分だけやや重くなっている。

チェックイン・カウンターのお姉さんは、
涼しい顔をしてオーバー・チャージを払えという。

ダイバーは一人30kgまでOKだろう?
マレーシア航空の日本語HPに載っていたぞと食い下がったら、
それなら5kg分だけ払えと言ってきた。

1人あたりたった2.5kgのオーバーじゃないか、と言うと
オーバーしていることに変わりはないと言われてしまった。

じゃあ、と、手元のバッグから
レギュレーターを取り出して、
これを機内持ち込みにするから重量を計りなおせ、
必要なら他の器材も機内持ち込みにするから・・・
と丁重にお願いしてみた。

カウンターの女性は、うんざりした顔で手をひらひらさせ、
ボーディング・パスを発券してくれた。
でも、レギュレーターを戻せとは言ってくれなかった。

年をとるにつれて厚かましさが板についてくる。

2009/09/12

マーレから船に戻る

2009/05/09 17:53 Handy Cruise on Hulhumale

マーレの表玄関である大統領専用桟橋(No.1 Jetty)のたもとでの
待ち合わせは17:30だった。

STOの2階のみやげ物屋でパレオを1枚買い、
1階のスーパー、ピープル・チョイスが
まだ開店していないのを確かめ、
待ち合わせ場所に向かうと、
ダイビング・ガイドの佐藤さん(Satar)とアハメッド(Ahamed)
に会った。

待ち合わせの時刻が15分遅れに変更になったという。
彼らがシガー・ショップに行くというのでついて行った。

帰りにDVDショップにも立ち寄った。
インド映画とアメリカ映画ばかりだが、
1枚Rf40(約320円)、4枚まとめて買えばRf100(約800円)
という値段に魅力を感じてしまった。

問題は、PALなので日本の機器では再生できないことだ。



2009/05/09 17:54 Handy Cruise and the One of Crew

この日、マーレで観光なり買い物をしたのは
オトさんとアケちゃん(嫁)を除けば3人だけだった。

ゲスト5人とガイド2人を乗せて、ドーニが母船に戻ったのは
午後6時直前だった。

7時半の出発までに、
シャワーを浴び、荷物をまとめ、精算を済ませ、
ビールを飲んで・・・と慌しい時間が過ぎる。

2009/09/11

タギング、大統領官邸、STOセンター

2009/05/09 16:51 Tagging (Graffiti) on the Wall

休業していたノベルティ・ブックショップ(Novelty Bookshop)を
あとにして、
オトさんとアケちゃん(嫁)は最後の目的地、
STOショッピング・センター(State Trading Organization Shopping Centre)
を目指した。

ミスキー(モスク)の脇の狭い路地を抜けると、
袋小路にタギング(落書き)を見つけた。

アメリカの悪しき文化が形だけ輸入されている。
残念ながらアーティスティックな要素はゼロだ。



2009/05/09 16:54 The Presidential Palace

路地を抜けると目の前は大統領官邸だ。
この並びに5階建てのSTOショッピング・センターがある。

1階のピープル・チョイスというスーパー・マーケットは
恐らくマーレで最も品揃えが豊富だ。
2階にはみやげ物屋が数軒入っている。

ピープル・チョイスは5時から30分ほど
お祈りの時間のため閉店してしまうので、
今回は入り損ねてしまった。

迎えのドーニの時間まで30分あったので、
2階の店を冷やかしていたら
日本語の上手な片腕の店主に
呼び止められて、パレオを1枚買ってしまった。

2007年の5月に同じ店に来たときは
おみやげを買い終えた後だったので
結局何も買わなかったものの、
他の店より言い値が安かったのを覚えていたのだ。

今回購入したパレオはシルク製だったので
レーヨンのものより3倍ほど高かったが、
交渉の末、RF80(約640円)で手に入れた。

2009/09/10

ノベルティ・ブックショップ(Novelty Bookshop)は休業だった

2009/05/09 16:49 NOVELTY BOOKSHOP on Male

テニス・コートの跡地を過ぎ、ジェティに向かって歩くと
すぐに信号のある交差点にでる。
(この日、この信号も点っていなかった)

ジェティから向かってきた場合は、
土産物屋街が途切れ、左側に電話局、
右側に観光客に人気のシーガル・カフェ・ハウス(Seagull Cafe House)
が目印だ。

その角から(ジェティから見て)右に伸びる道が
ファレデー・マグ(Fareedhee Magu)だ。

このファレデー・マグをしばらく歩いて左側に
文房具店ノベルティ・ブックショップ(Novelty Book Shop)がある。

過去何回かマーレを訪れたときは時間がなくて
ずっと立ち寄れずにいたので、
今回は足を伸ばしてみた。

地元向けの本屋兼文具ショップだが、
趣向を凝らした表紙のノートがおみやげにちょうどいい。
それに、モルディブに関する本や図鑑も充実しているので
新しいものがあれば手に入れたかった。



2009/05/09 16:49 The Bookshop Was Closed on 9 May Only

ところが、入口にCLOSEDの札と、
5月9日終日休業の張り紙があった。

お祈りの時間に閉店する店は数あれど、
たまたま休業とはついていない。

これも選挙の影響かと勘繰ってしまうのは
被害妄想だろうか?

2009/09/09

投票所、カレー粉、中国のODA

2009/05/09 16:22 A School Used as Polling Station

マジェデー・マグ(Majeedhee Magu)と
チャンダニー・マグ(Chandhanee Magu)の交差点に程近い
学校が投票所になっていた。
一応警官が詰めているものの、緊張感はない。

たむろしている人々は一体何をしているのだろう?
投票が済んだらさっさと帰ればいいのに・・・
票読みしている有権者がちゃんと投票に来たか
チェックしているのだろうか?

(20年前には全くなかった)交差点の信号は、
この日全て消灯していた。
これも選挙のためだろう。



2009/05/09 Spicy Curry Powder

チャンダニー・マグの地元スーパーでカレー粉と
ヘーゼル・ナッツ(Rf30/100g、約240円)を買った。

このスーパーは、ナッツ類を秤売りしてくれるので
ナッツ大好きのオトさんは、帰りの機内でのつまみ用に
マーレに来るたびに買っている。

カレー粉は250g入りがRf32(約260円)、
約70g入りがRf9(約72円)だ。
5人分作るのに必要な量は10~15gだ。

250g入りは自宅用とカレー好きの友人のために5袋、
70g入りは日頃お世話になっている人向けに4袋購入した。



2009/05/09 16:39 Another Polling Station

スーパーを出てチャンダニー・マグをジェティに向けて歩くと
右にイスカンダル・スクール(Iskandhar School)と
アミニヤ・スクール(Aminya School)が目に入ってくる。

前回(2008年9月)、
奇妙なデモンストレーションを見たのが、この学校の前だった。
今回はその向かい側の建物が投票所になっていた。

ここでも、人がたくさんたむろしている。
携帯電話で連絡をとっている人も多い。
早く投票に来い、と呼びかけているのだろうか?


2009/05/09 16:41 Under Construction Building by China's ODA

サルタン・パークの一角、かつてテニス・コートだったところが
すっかり変わっている。
シートに覆われているが、かなりの規模を持った建物が
建築中らしい。

門柱には赤と金が派手な中国語の飾りがつけられ、
建物を覆う緑色のシートにも
大きく中国語で「熱烈歓迎…云々」とある。
どうやら中国資本(中国政府の無償供与)による博物館の建設らしい。
何年か前に外務省庁舎の建築も中国が無償援助しているし、
モルディブを訪れる中国人観光客も着実に増えている。
恐るべし中国13億人の底力。

2009/09/08

マジェデー・マグ(Majeedhee Magu)

2009/05/09 16:17 National Library and Art Gallery

ガロルー国立競技場(Galolhu National Stadium)脇の
ホタ(喫茶店;Hotaa)を出て、
マーレの中心を東西に貫く目抜き通り、
マジディー・マグ(Majeedhee Magu)に出た。

おみやげを仕入れるために、いつも立ち寄るスーパーを目指し、
チャンダニー・マグ(Chandhanee Magu)の方向に歩く途中で
国立図書館兼美術館を見つけた。

こじんまりした小奇麗な建物だが、
残念ながら閉館していた。
土曜日で休日だからなのか、選挙だからなのかはわからない。
もっとも、集合時刻まで1時間ちょっとしかないので、
どのみち立ち寄る時間はなかったのだが。



2009/05/09 16:18 The Din and Bustle of Majeedhee Magu (Street)

マジディー・マグは、ローカルのための商店が立ち並んでいる。
靴屋、洋服屋が多い。
女性向けや子供向けの洋服はピンクや赤など
派手な色が並んでいるが、
男性向けのショップは濃い目の色が圧倒的に多い。

街行く人たちの服装は、小ざっぱりした襟付きシャツが中心だ。



2009/05/09 16:20 The Building Recently completed

2年前(2007年)のゴールデン・ウィークにマーレに滞在したときは
まだ建設途中だったビルが完成していた。


一昨年、Manthiri号のダイブ・サファリで訪れた時に、このビルに程近いセントラル・ホテルを利用した。
乗船前の4月28日に前泊し、下船後の5月6日にデイ・ユースで半日滞在したのだ。
そのときこのビルは5階から上のベランダにはネットがかけられ、まだ工事の途中だった。
それにもかかわらず1階から3階にテナントが入居して営業していたので、見切り発車ぶりに驚いたものだ。

ちなみに、隣の建物はミスキー(モスク)だ。
おととし写真を撮ったときはちょうどお祈りの時間直前で、スピーカーから大音量でコーランが流れていた。
ビルとの境界の壁の上に人がいたが、いまだになぜあんなところに立っていたのか謎だ。

2009/09/07

ホタ(Hotaa)で一休み

2009/05/09 15:42 First Floor of Hotaa (Local Cafe)

アメネー・マグ(Ammenee Magu)の西端つきあたりは、
ニュー・ハーバー(New Harbour)だ。
この周辺も商店や問屋が軒を並べている。

STELCOの発電所を過ぎると、
この通り沿いはテレビ局や保健省がある他、
モルディブ高等教育短期大学をはじめとして
イングリッシュ・スクールやプレップ・スクールが
集中している地域になる。

予定では、この通りをまっすぐ進んでニュー・ハーバーまで
行くつもりだったのだが、
アケちゃん(嫁)が暑さにやられてグロッキーになってしまい、
急遽どこかで一休みすることにした。

とりあえず、路地に入って休憩できそうなところを探したが
ホタ(Hotaa;ローカル・カフェ)が見当たらない。
仕方がないので、ホタがありそうな人通りの多い通りを
求めて歩き回った。

最初に見つけた店は風通しが悪そうだったので素通りし、
国立競技場の脇にあったカフェ風のホタに入った。

1階のレジでCokeとキルサ(Kiru Sai:ミルクティー)を注文して
そのまま2階に上がると、
ほどなくウェイターが持って来てくれた。

1階は狭くて暗いのだが、2階に上がると
通りに面した側は壁がなく、オープン・エアになっていて
明るくて涼しい。

モルディブのホタは男性のおしゃべりの場で、
店内で女性を見かけることはまずない。
(女性は誰かの家に集まっておしゃべりをする)
また、外国人が来ることがまずないので
外国人カップルは一瞬注目を浴びるが、
すぐに自分たちのお喋りに戻るので
居心地の悪い思いをすることはない。



2009/05/09 15:56 An Electric Fan Was Made in China

天井に取り付けられた扇風機は梁田(LIANG TIAN)のロゴが
ついていた。
ちょっと前まで家電製品やAV機器はほとんど日本製だったが、
最近は中国製品が台頭してきているようだ。
以前も書いたが、
マーレの携帯ショップやPCショップで日本製品はまったく見ない。

モルディブで見るメイド・イン・ジャパンは
中古車だけになってしまった。

30分ほど休んで元気が回復したのでホタを出ることにしたが、
散策は切り上げてみやげを買うことにした。

ニュー・ハーバーの周辺まで足を伸ばす時間がなくなってしまった。
次回の楽しみにとっておくことにしよう。

2009/09/06

日本の新たな国際協力

2009/05/09 15:22 The Map Pointing Place of Polling Stations

日本のODAの象徴と、津波の記憶を留めるための記念碑は
今回のマーレ来訪で見ておきたいものの一つだった。

皮肉にも、マーレの主たる港や観光エリアとは
対角線上に位置するこのあたりは人影もまばらで、
まるで1988年と2004年のそれぞれの時が
結晶してしまったような感触さえあった。

とにかく容赦のない日差しが照りつけるこの海岸線を離れることにして、
マーレの南側を東西に貫くアメネー・マグ(Ameenee Magu)
を西に向かうことにした。

小さな建物が立て込んだ地域に入ると、
道路に面した壁に大きなマーレの地図が貼ってあった。
色分けされた地域から引き出し線がでていて、
星印を指し示している。

ターナ文字だけで英語の表記がないので正確なところはわからないが、
どうやら、居住地域ごとの投票所を指示している地図のようだ。



2009/05/09 15:24 The Powerhouse of STERCO (State Electric Co. Ltd.)

アメネー・マグを西に向けて歩いていくと、
ゴーともブーンともつかない大きな音が徐々に大きくなってくる。

道路の右側は小さな工場や住宅が隙間なく並ぶ
昔ながらの街並みだが、
道路をはさんだ海側は緑豊かな広々とした敷地が続いている。

音の出どころは、モルディブの電力供給を一手に引き受けている
国営モルディブ電力公社だ。
フルマーレのHDCビルの2階(First Floor)に事務所が入っていた
あのSTELCOである。

ひときわ目立つ煙突が林立する火力発電所は
ディーゼルに全面的に依存している。

現在、JICA(国際協力機構)が主導して
「モルディブ国マレ首都圏における太陽光発電導入計画調査」
が、四国電力によって行なわれているという。

年率10%で増え続けるマーレの電力需要への対応と
化石燃料代替および中長期的な電力の安定供給をめざして、
太陽光発電システム導入の実施可能性の検証が進められている。

2009/09/05

親日を象徴する消波ブロック

2009/05/09 15:16 Tsunami Memorial Monument

マーレ東岸の周回道路を南に向けて歩いていると、
正面にずっとこのモニュメントが見え続けている。

間近で見るために、
サーフィン・エリアを抜けて日差しをさえぎるもののない道路を
島の東南端まで歩いてみた。

防波堤の向こうに立つこのオブジェは、
2004年12月26日に起きたスマトラ沖大地震による津波被害に対する
記念碑、らしい。
らしい、と書いたのは、調べても資料が見つからなかったからだ。



2009/05/09 15:17 Monument for Breakwaters Constructed by Japan's ODA

島の東南端の一角は広い空き地のような公園になっている。
そこには、海を望むように消波ブロックの記念碑がある。
ディベヒ語(ターナ文字)と英語の銘板には

日モ友好と協力の証として、
日本国政府の援助の下に
マーレ南岸の護岸工事が
なされた。
このプロジェクトは1988年9月5日、
マウムーン・アブドゥル・ガユーム(Maumoon Abudul Gayoom)(前)大統領
による起工式に始まり、
1990年5月30日に竣工した。

と刻まれていた。

外務省のODAのサイトを調べると、
この護岸建設では、第1次から第3次まで
60億円の無償資金援助が行なわれていた。
さらに調べたところ、
設計・施工管理は八千代エンジニアリング(株)
施工は大成建設(株)、
消波ブロックは(株)不動テトラ(旧株式会社テトラ)が供給していた。

2004年の津波被害とこのODAを結びつける記事が
2004年12月28日付の毎日新聞のサイトにあったことを見つけた。
(現在は削除されています)

引用ここから---
【マレ(モルディブ)福本容子】「日本の支援がなかったら、マレはなくなっていただろう」――。モルディブの人口の約3分の1が住む首都マレでは、日本からの公的支援で建設された防波壁が、島を津波の大惨事から守ってくれたとの見方が広がっている。海抜1メートル程度しかない約1200の島々から成る同国は地球温暖化の進行で国全体が沈みかねないとの不安を抱え、常に海面上昇への恐怖と隣り合わせで生きてきたが、88年以降、進めてきた首都の護岸工事が壊滅的な被害を回避するのに貢献したと、島民は口々に語った。
災害対策本部の置かれたマレ市のイスカンダール小学校校庭でボランティア活動を指揮する元オリンピックマラソン選手のフセイン・ハリームさん(35)。彼になぜマレは3分の2が冠水しながらも死者が出なかったのだろうと尋ねた。するとすぐに答えが返ってきた。「10年以上かけて作った防波壁が大いに助けになった。日本の援助のおかげだと聞いている」
その防波壁を見たくて市南部の海岸まで案内してもらったタクシー運転手のアハメド・シャフィールさん(30)も「日本が作ってくれたあの壁がなかったら今ごろマレはもうない」と語り、「助けてくれた日本人からこんな時に金を受け取るわけにはいかない」と決して料金を言ってくれなかった。
大統領府によると、日本はモルディブ最大の援助供与国で13年をかけた防波壁工事の費用6600万ドルの主要部分を日本の援助が支えたという。南部の海岸通りには、「日本とモルディブの友好のため日本政府が提供した支援で作られた」と消波ブロックに記した記念碑が海に向かって建っていた。
---引用ここまで

公共工事の海外版ともいえる、
国税が日本企業を潤す構図の中で
親日的なモルディブ人だからこそ感謝してくれていることが
せめてもの救いといえるだろうか・・・

2009/09/04

マーレ東南岸

2009/05/09 15:08 "Pizza Corner"along Boduthakurufaanu Magu

人工ビーチに面して南北に走る周回道路
ボドゥタクルファヌ・マグ(Boduthakurufaanu Magu)沿いに
カフェやホタ(大衆食堂)が何軒か立っていた。
1990年当時はカフェはおろかピザ・ハウスなど1軒もなかったが、
隔世の感がある。

ホタやカフェの多くは2階が開放的なテラス式の席になっているようだ。



2009/05/09 15:09 Rental Surfboard Shop near the Surfing Area

ボドゥタクルファヌ・マグを南に向かうと海が目の前に迫ってくる。
建物が尽きるはずれに小さな小屋が建っていた。
サーフボードがたくさん立てかけてあるから、
きっとレンタル・ショップなのだろう。

いかにもサーファーらしい若者が何人か、暇そうに店番をしていた。



2009/05/09 15:09 Surfing Area on Male

サーフィン・エリアはそれほど広くないが、
湘南よりはよさそうな波が立っていた。

この先には監視塔があり、ライフ・セーバーが海を見つめていた。

2009/09/03

「人工ビーチ」

2009/05/09 15:05 Artificial Beach

野外ステージがある一角を過ぎると、広い空き地というか広場がある。
木陰がないので素通りすると、人工ビーチだ。
半円形の砂浜で、一部が消波ブロックでガードされている。

家族連れや若い男女が海水浴を楽しんでいた。
ムスリムなので女性は肌をさらさず、着衣のまま水に入っていた。
泳ぐというより、水に浸かって涼んでいる。



2009/05/09 15:06 Food Club Texas

ビーチの南側にはレストランがある。
手元の「地球の歩き方-モルディブ」(2007-2008年度版)の
マーレの地図と、Google Mapには
”Food Garden”と記載されているが、
実際に見たのは、ニワトリのキャラクターが迎えてくれる
”Food Club Texas”という看板の店だった。
”We Serve Good Food Fast”と書いてある。

木に覆われて、店内のテラスは涼しげだ。

2009/09/02

マジーディア・アリマス・カーニバル(Majeediyaa Alimas Carnival)

2009/05/09 14:56 An Open Air Stage

マーレの東海岸一帯はレジャー地区だが、
遊園地から人工ビーチまでの一帯は
マジーディア・アリマス・カーニバル(Majeediyaa Alimas Carnival)
呼ばれている。

遊園地の隣の広場には、野外ステージがある。




2009/05/09 14:56 A Sports Car Unworthy of Traffic Situation

広場に止まっていた自動車。

マーレの道路事情を考えると、
外出時も涼しい思いができるという以外に
自家用車を持つことのメリットがわからないのだが、
三菱製のスポーツ・カーがその持てる性能を発揮することは
決してないと思われる。







2009/05/09 14:57 A Seafront Cafe "Dolphin"

海沿いにはカフェが何軒か並んでいる。
そのうちのひとつ、"Dolphin"。

夜になれば、ネオンと照明でいい雰囲気がでるのだろう。
だが、昼間はその安普請が目に付いてしまう。
特に1階の造作はプレハブ倉庫そのままだった。



2009/05/09 14:58 Another Seafront Open Cafe "Lily's" and Wave dissipating block

それに比べると、こちらのオープン・カフェ"Lily's"は
もう少しリゾートのビーチ・バーを思わせる。
客もそこそこ入っていた。
だが、椅子が安手のプラスチック製ガーデン・チェアなので、
高級感はイマイチだ。

隣の島はフナドゥ(Funadhoo)
石油備蓄基地の島だ。

2009/09/01

マーレの遊園地

2009/05/09 14:52 The Way in to "Kippy" Kids Fun Play Park

フルマーレ(Hulhumale)とマーレ(Male)を結ぶフェリーのターミナルから
東に100m足らず行ったとこらからの海沿いは、
マーレ市民のためのレジャー施設が並んでいる地域だ。

まず、小さな遊園地があったので入ってみた。
ゲートの上に”Kippy”と書いてあるが、これがこの遊園地の名前だろうか?
その脇に入場券売り場のような窓口があったが、
閉まっていて「入場無料」の札が出ていた。



2009/05/09 14:53 Equipments Characters Have Seen Somewhere

敷地はとても狭い。
間口7~8m、奥行き30~40mといったところだろうか?
デパートの屋上遊園地を思い浮かべてもらえば近いだろう。

入ってすぐ右にはコインで動く乗り物が2つ。
スヌーピーとセーラームーンを連想させるキャラクターだが、
当然海賊版なのだろうなあ。




2009/05/09 14:54 Small Carousel Chairs

奥には回転木馬風の乗り物。
こちらは中央にピエロがいる。



2009/05/09 14:54 Rotate Honey Bee

その脇には、ミツバチの乗り物があった。

遊具はこれで全部。
モルディブはムスリムなので金・土曜が休日だが、
入園者はゼロ。
というか、係員さえ誰もおらず、完全に無人だった。

まあ、炎天下の昼下がりだから当たり前といえば当たり前だろう。
きっと、日が暮れれば賑わうに違いない。