2009/09/05

親日を象徴する消波ブロック

2009/05/09 15:16 Tsunami Memorial Monument

マーレ東岸の周回道路を南に向けて歩いていると、
正面にずっとこのモニュメントが見え続けている。

間近で見るために、
サーフィン・エリアを抜けて日差しをさえぎるもののない道路を
島の東南端まで歩いてみた。

防波堤の向こうに立つこのオブジェは、
2004年12月26日に起きたスマトラ沖大地震による津波被害に対する
記念碑、らしい。
らしい、と書いたのは、調べても資料が見つからなかったからだ。



2009/05/09 15:17 Monument for Breakwaters Constructed by Japan's ODA

島の東南端の一角は広い空き地のような公園になっている。
そこには、海を望むように消波ブロックの記念碑がある。
ディベヒ語(ターナ文字)と英語の銘板には

日モ友好と協力の証として、
日本国政府の援助の下に
マーレ南岸の護岸工事が
なされた。
このプロジェクトは1988年9月5日、
マウムーン・アブドゥル・ガユーム(Maumoon Abudul Gayoom)(前)大統領
による起工式に始まり、
1990年5月30日に竣工した。

と刻まれていた。

外務省のODAのサイトを調べると、
この護岸建設では、第1次から第3次まで
60億円の無償資金援助が行なわれていた。
さらに調べたところ、
設計・施工管理は八千代エンジニアリング(株)
施工は大成建設(株)、
消波ブロックは(株)不動テトラ(旧株式会社テトラ)が供給していた。

2004年の津波被害とこのODAを結びつける記事が
2004年12月28日付の毎日新聞のサイトにあったことを見つけた。
(現在は削除されています)

引用ここから---
【マレ(モルディブ)福本容子】「日本の支援がなかったら、マレはなくなっていただろう」――。モルディブの人口の約3分の1が住む首都マレでは、日本からの公的支援で建設された防波壁が、島を津波の大惨事から守ってくれたとの見方が広がっている。海抜1メートル程度しかない約1200の島々から成る同国は地球温暖化の進行で国全体が沈みかねないとの不安を抱え、常に海面上昇への恐怖と隣り合わせで生きてきたが、88年以降、進めてきた首都の護岸工事が壊滅的な被害を回避するのに貢献したと、島民は口々に語った。
災害対策本部の置かれたマレ市のイスカンダール小学校校庭でボランティア活動を指揮する元オリンピックマラソン選手のフセイン・ハリームさん(35)。彼になぜマレは3分の2が冠水しながらも死者が出なかったのだろうと尋ねた。するとすぐに答えが返ってきた。「10年以上かけて作った防波壁が大いに助けになった。日本の援助のおかげだと聞いている」
その防波壁を見たくて市南部の海岸まで案内してもらったタクシー運転手のアハメド・シャフィールさん(30)も「日本が作ってくれたあの壁がなかったら今ごろマレはもうない」と語り、「助けてくれた日本人からこんな時に金を受け取るわけにはいかない」と決して料金を言ってくれなかった。
大統領府によると、日本はモルディブ最大の援助供与国で13年をかけた防波壁工事の費用6600万ドルの主要部分を日本の援助が支えたという。南部の海岸通りには、「日本とモルディブの友好のため日本政府が提供した支援で作られた」と消波ブロックに記した記念碑が海に向かって建っていた。
---引用ここまで

公共工事の海外版ともいえる、
国税が日本企業を潤す構図の中で
親日的なモルディブ人だからこそ感謝してくれていることが
せめてもの救いといえるだろうか・・・

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